旅散人のブログ

旅と写真好きのシニアのプログです。お金の話も得意です。

<釣り>令和元年の納竿は、舞鶴のアジ・サバ釣りです

皆様、こんにちは!

 今年の最後の釣行は、舞鶴にてアジ・サバ釣りです。これで、全ての行事が終わり、あとは孫を迎えに行って、いよいよ大晦日となります。

舞鶴、いざ出船

 令和元年最後の釣りは、T師匠に誘われ、O氏と3名で舞鶴に向かいました。天気の一番ましな日を選びましたが、乗合船は満席とのことです。3年ほど前には、見事お正月の真鯛を仕留めましたが、今年も真鯛狙いは難しいようです。

 集合時間は11時ですが、10時半につくと、もう全員乗船を始めています。皆さん、相当入れ込んでいるようです。我々も急いで準備し乗り込みました。

 天気は絶好です。寒むすぎもなく、風もなく、波もありません。釣り場は、いつもの若狭湾のど真ん中、冠島あたりです。船の進行方向斜め右手には、海の向こう水平線の遠くに雪山の連山が望めます。空気が澄んでいるのでしょう。方向から言って、きっと立山連峰に違いないと思いながら、こっくり日向ぼっこです。

★昼の釣り

 まずは、最初の釣り場で様子見です。いつものT師匠特製の胴付き仕掛け、やや控えめにハリス5号、5本バリです。最初の釣り場はエサ取りだけでダメ、次に移ります。

 ハイ、ここできました。ものすごい食い込みです。やや小ぶりのイサキをゲットです。そのあとは来ません。2-3回釣り場を変わったあと、船長狙いの漁礁で粘ることになりました。ここでアジが入れ食いです。まだ明るい時間なので、大アジ・鬼アジとはいきませんが、まあまあ良い型です。

 余りたくさん釣るとあとが大変なので適当にと考えたのがいけないのか、失敗続きです。3連で釣れた最初のアジをたも網で上げますが、次のアジを上げるために網からアジを外す時に、海に落としてしまいました。ぼけています。

 次は、たもの操作を焦ってうまく網に入らず、船べりまで上がってきた大きなアジを外してしまいました。下手としか言いようがないです。

 途中で、外れたのもいくつかありましたが、まあ2桁行ったので今日はもう十分です。T師匠は、おもりに特別の仕掛けを付け、赤いのも釣っています。アジはもういいので、タイ狙いを試みます。前から指導を受けていた、おもりを底につけて少し仕掛けを弛ます手法で頑張ります。真鯛は無理ですが、小さい目ながらも黄色いレンコダイが4匹上がりました。

★夜の釣り

 もう17時になると暗くなります。夜の釣りに移ります。ハリスは6号に変えます。とりあえず、ツバス、ハマチ狙いです。

 ハマチの引きはすごいです。釣りのだいご味でもあります。ハマチも多く釣るとあとの始末が大変です。一体何匹釣れるかなと思いましたが、途中で回り込みがなくなりました。その代り、サバが来ます。残念ながらあまり大きなサバではありません。期待した鬼サバはきませんでした。

 T師匠は、イカを狙います。今年は、生まれるのが遅れて小さいのがいるそうです。少し粘っていましたが、イカは来ない様です。ハマチ、サバが回ってくるところなので逃げて無理なのかもしれません。

★今日の釣果

 19時半を過ぎました。お正月料理で冷蔵庫も一杯になるであろうと、余り欲張らず、早めに仕舞始めます。アジ、サバ、イサキ、レンコダイ、ハマチの5目で20は十分超えています。まあ今日はこんなもんでしょう。

 3名以外の周りでは、イシダイ、ヒラマサ、ヒラメの声も聞こえましたが、これで令和元年の納竿とし、良しとします。

★最後に

 翌朝、腰が痛い中、洗濯物と魚の始末です。いつもおなかだけは出しますが、それまでで終わるので、家内からは嫌われています。今日は孫を迎えに行かんなんし、許してねとごまかします。

 今日は大晦日です。皆様良いお年を!来年も、仕事に、写真に、釣りに、旅に、、、頑張りましょう。

 

 

 

<写真>令和元年の撮り納めは、京都植物園の雪中花と待雪草

f:id:tabisanjin1:20191226135301j:plain

京都府立植物園・椿・雪中花


f:id:tabisanjin1:20191226135218j:plain

可憐に咲くスノードロップ

皆様、こんにちは!

 今年もいよいよ終わりになります。今年の写真の撮り納めは、手身近な京都植物園になりました。お題は、ツバキです。

★冬に咲く花

 冬に咲く花はあまりありません。秋が終わると撮影場所にも一苦労します。いっそのこと雪が降れば素晴らしいのですが、最近は雪もあまり降りません。

 しかし冬のひとときに、寒さにも負けず咲く花があります。よく知られている(私が分かる)のは、椿、さざんか、水仙福寿草スノードロップ(待雪草)、蝋梅(ロウバイ)などでしょうか?

 これらは、雪の中でも咲く花です。インターネットなどで雪中花として検索するとスイセンが出てきます。しかし、京都植物園では、ツバキが雪中花です。京都植物園の「週刊見頃情報2019.12.20 343号」では、雪中花(ツバキ園)に見頃印★がついてスケッチ図が出ています。

★ツバキ園

 寒い中、開園直前に京都植物園に到着しました。雪は降っても積もってもいません。まず、狙いのツバキ園に行くと、もう散りかけたものと、まだまだ蕾のものがあります。京都植物園には多くの種類がありますが、主流は2月からかもしれません。さざんかとツバキの違いはよくわかりませんが、さざんかは既に終わりかけです。

 その中でも、奥の方に行くと、赤いのと、白いのが咲いている木が所々にあります。花は傷んでいるものもあり、選択は難しいです。とりあえずマクロでいきます。日差しは朝なの斜光が綺麗なのですが、花に強く当たりすぎのところ、蔭で暗すぎところがあり、きれいな花びらと光を同時に選ぶのが難しいです。

 空が青いので、バックが良い位置になる花を探します。中々、全部の条件がそろう良いものは見つかりません。更に花びらの取り合わせ、蕾とのバランス、前ボケなど、条件の良いものを探し回ります。望遠も取り出し、構図の良い切り取りも合わせて覗き回ります。しかしながら、時間が過ぎるばかりです。

 「雪中花」と札があった白い花びらのところで長い間粘りましたが、余り満足な絵柄は撮れませんでした。「雪中花」の花びらは真っ白ではなく、淡くピンクがかっています。枝葉に積もる雪の中で咲いているとさぞかしきれいなのでしょう。

★冬咲きのサクラにぽかぽか日向ぼっこ

 適当にツバキ園をあきらめて、ぶらぶらと半木神社の池の周りを歩き回ります。小さな花を見つけては、腰をかがめて撮ったり、ネコヤナギの光り輝く姿を狙ったりです。

 冬に咲く、小さな小さな桜がありました。3つ4つ固まって咲く花びらが、所々にあります。全体を撮っても目立ちませんし、マクロで花びらの塊を撮っても迫力にかけます。誠に可哀想なぐらい地味なさくらです。

 池の周りで、残りさざんかなどを狙っていましたが、気が付くともうお昼前です。待ち合わせの「森のカフェ」に急ぎます。

 のんびりしたお昼ごはんです。ぽかぽかと暖かいです。芝生には二組の親子連れが楽しくお弁当を食べています。今日はお父さんもお休みなのでしょう。

 眠くなってきます。ぽかぽかと日向ぼっこです。

スノードロップ(待雪草)

 さて、もう一撮りすることになりました。森のカフェの近くのさざんかを撮ってると、メジロがやってきています。狙いを定めます。素早いです。すぐにあっちこっち飛び回ります。しだれ柿もありますが、残念ながらもう色がくすんでいます。

 ぶらぶらしながら、最後に北山門出口に近いところのスノードロップを狙いに行きます。咲いていました。まだ多くはないですが、可憐に頭を下げながらも自己主張をしています。

 スノードロップ花言葉は、「希望」「慰め」らしいです。インターネットのある記事では、「禁断の実を食べてしまったアダムとイブは、降りしきる雪の中、エデンの園を追い出されました。そこへ天使が現れて「もうすぐ春がくるから絶望してはいけませんよ」と慰め、雪をスノードロップに変えたという言い伝え」があるとのことです。「
この清潔な白さは神にふさわしい花ととされ、今では2/2カトリック教会のキャンドル祭に捧げられます」というミニ知識も得ました。

 この姿を写真に収めるには大変です。地面に這いつくばって、10センチ足らずの草花を撮るのです。しかも下を向いています。マクロで手取りで撮りました。撮り終わった後は、簡単には起き上がれません。何回か試みます。やっとの思いで撮ったものの、見返すと、手取りでピントが甘いです。妥協します。

★最後に

 今年最後の撮影仕舞は、京都植物園の雪中花でした。待雪草といわれるスノードロップも撮りました。残念ながら雪はありませんでした。

 来年はネズミ年です。還暦から次の一周も終わります。更にもうひとまわり、元気で生き延びて、来年こそは、自分満足でも良い納得のいく写真を撮ろうと思います。

 今日ここまでです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<雑感>葉室麟の墨龍賦を読んでみて

皆様、こんにちは!

 今日は、葉室麟の「墨龍賦」という本を先日読み終え、面白かったので、感想をしたためます。

★「墨龍賦」との出会い

 この本を見つけたのは、京都駅の新幹線構内にある本屋さんです。葉室麟の作品だったので、ちらっと見ました。題目からは直感的にどんな本かわかりませんでした。序を見ると「京都に住む絵師、小谷忠左衛門に幸運が訪れたのは、寛永九年1月に大御所徳川秀忠が没して間もなくのことである。」から始まり、春日局に召し出された忠左衛門が「そなたが海北友松様の息子殿か」と尋ねられます。そして、一介の絵師であった父が明智光秀重臣であった斎藤内蔵助利三の友であったことを知り、春日局が「そなたは、友松様のことを何も知らぬな。ならば、私が教えてやろう」と静かに語り始めた。ところから、物語は始まります。

★海北友松って?

 海北友松という絵師のことはよく知りませんでしたが、葉室麟の作品です、帯からもきっと面白いだろうと思い、思わずレジへ行きました。後でみると、海北友松は、あの狩野永徳長谷川等伯を輩出した桃山時代にあって、孤高の画家だったそうで、60歳を過ぎてから活躍したらしいです。

 有名な作品は、建仁寺の大方丈の礼の間を飾る「雲龍図」やアメリカのネルソン・アトキンズ美術館所有という「月下渓流図屏風」らしいです。

★作品の面白さ

 海北友松は、小谷城浅井家の家臣、海北家の三男坊で、小さい頃、東福寺の喝食(小童)として育ったらしいです。浅井長政織田信長に滅ぼされた時に海北家はつぶれています。この友松が、武士に戻りたくとも戻れず、激しい世の転換の中でもがきながら、生きる上での美しさとは何かを考え続けた男として、葉室麟が見事に描きあげています。帯には「その絵師は、『武人の魂』を持ち続けていた」とあります。

 解説には、「心構えの美しさ」を主題とした作品とありますが、私にとっては、むしろ戦国時代の歴史小説としての面白さがありました。

 話しに出てくる武将も、比較的マイナーな人々が出てきます。明智光秀斎藤利三との交流、東福寺で同僚だった安国寺恵瓊との執拗なまでの付き合い、同じく尼子家として還俗した尼子勝久やその部下の山中鹿之助との友情、弟子となった宮本武蔵への教え、狩野永徳とのやり取りなど、葉室麟らしい面白さがあります。処刑された斎藤利三の首を奪還した話も出てきます。歴史小説としての面白さも十分堪能できます。

葉室麟

 葉室麟の小説は、これまで、織田信長の二女で蒲生氏郷に嫁いだ「冬姫」や、九州の戦国大名で秀吉の朝鮮出兵でも活躍した立花宗茂を描いた「無双の花」なども読みました。本作を上梓した10か月後に急逝されたそうですが、また本屋で見つけたら読んでみたいと思います。

★最後に

 建仁寺の「雲龍図」も見てみたいです。その子の海北友雪の作品も妙心寺などにあるらしいので、機会があれば見たいものです(既に見たかもしれません)。日本の絵にも少し興味が湧いてきました。

 今日はここまでです。

 

 

 

 

 

 

<旅>但馬海岸でカニに温泉、そして大乗寺は応挙の障壁画

f:id:tabisanjin1:20191222223342j:plain

竹野海岸からの冬の日本海の荒波


皆様、こんにちは!

 ようやく11月からずっと忙しかった仕事も終わり、年末を迎えました。もう1月中頃までは仕事もなく、平穏な年末年始を過ごせます。

 久しぶりに、夫婦で日本海までカニを食べに行ました。今年は、竹野にしました。孫を連れて行くと落ち着いて食べられないので、今回の旅は夫婦のみです。タグ付きの松葉ガニをたらふく食べることができました。満足です。

竹野海岸

 カニは何と言っても「ズワイガニ」です。京都から兵庫、鳥取、島根辺りまでの日本海で取れる「ズワイガニ」を「松葉ガニ」、福井県で取れるものを「越前ガニ」と言いいますが、関西人にとっては、やはり京都か兵庫の松葉ガニが「かに」です。鳥取や福井は関西から外れていて遠いイメージです。カニは、産地までわざわざ出かけて行って食べるもので、しかも温泉が付きものです。

 今年は、夫婦で「ジパング倶楽部」を使って、のんびり山陰本線沿いに、但馬海岸まで、電車で行くことにしました。香住と城崎温泉は既に何回か行ったことがあるので、その間にある竹野にしました。竹野は、海岸べりの山の上に休暇村があります。当然温泉です。駅まで迎えに来てくれるし、ミニトリップとして大乗寺拝観が付いています。

 料理は、上から2つ目のクラスの「タグ付きかにづくしコース」にしました。これでもいい値がします。一応「茹で」「刺し」「鍋」「焼き」「天婦羅」「茶碗蒸し」「雑炊」のフルコースです。「味噌甲羅酒」は別途頼むことにしました。

 往路は、姫路周りの播但線経由、「はまかぜ」です。竹野まで直通の特急です。大阪駅から3時間ほどかかります。16時前にチェックインし、一風呂浴びる前に、海岸沿いの3つ展望台をめぐる探索です。残念ながら、厚い雲が覆っており、夕日どころか夕焼けも見えず散々です。どうも裏磐梯から、朝日・夕日に恵まれません。荒々しい日本海の波を写真におさめて、風呂に向かいます。予定では、夕日を眺めながらの露天風呂でしたが、かないませんでした。

松葉ガニはなぜ高いのか

 松葉ガニは、活きたままの活けと、水揚げ後すぐにボイルされたものを流通させており、冷凍していません。一般的なズワイガニは冷凍されて流通しています。この新鮮さに大きな価格の違いがあります。しかもこの地方で取れた松葉ガニは甘みも旨味も強く、他とは比べ物にならないくらいほんとに美味です。また漁獲時期は11月6日から3月20日までと限られた短期間です。更には、一匹一匹厳しい審査を経て松葉ガニとして証明タグがつけられるので、その証明も、価格をあげています。でも高いです。

 ちなみに、足が取れていたりすると安くなります。身の少なめのベニズワイガニはやや安いです。またオスだけを松葉ガニと言い、小さいメスはセコガニと言います。これは安いです。

 夕食では、茹でカニがまるっぽ一杯ついていましたが、なぜか、家内のカニのタグは緑色「香住港の第一盛山丸」、私はピンクの「柴山港の松進丸」です。同じ食卓なのに、なぜ産地が違うのかはわかりません。

 タグは水揚げの産地によって異なります。近くの浜坂は白、津居山は青、京都の間人は緑、島根は青、鳥取は白地に赤、越前は黄色などです。

 3時間近くかかって、カニのフルコースを楽しみ、カニ味噌の甲羅酒と地元の酒「香住鶴」をいただきました。朝には、家内から「いびきで寝られなかった」と小言もいただきました。レストランは、ほぼ満席ですが、平日のためか、皆さんともに定年退職をむかえたと思われる老人たちです。女性グループや一人旅の方も若干おられましたが、殆どが我々と同じ老夫婦です。

大乗寺の障壁画

 翌日は、スタッフの運転で案内してもらえる大乗寺へのミニトリップに参加しました。と言っても、参加者は我々夫婦と一人旅の老婦人のみです。バンで30分ほどで、大乗寺のある香住に着きます。

 亀居山大乗寺(西国四十九薬師霊場第甘八番札所)は聖武天皇御代に行基で始まり、安永年間に再建された際、若い頃住職の支援を受けた恩返しに、丸山応挙が一門12名を上げて、障壁画を描きました。40分ほど係の案内の方から説明を受けるのですが、少し早口でどんどん説明されるので、ついて行けず、残念ながら半分ぐらいしか理解できませんでした。

 パンフレットも見て得た知識です。まず全体の構図ですが、仏間の11面観世音菩薩を中心に13の部屋を荘厳し、部屋という空間に仏の世界(曼荼羅)を立体的に具現したとのことです。即ち、「山水図」の深山の瀑布から流れ落ちた水の流れが、池にたまり、やがて大河となり、大海原へ広がっていく景観の推移が描かれています。しかもこれらは、京都で3年がかりで書かれたものであり、立体的なつながりのある構図を、実建築物に合わせて設計していたとのことですから驚きです。

 障壁画は全部で165面あります。「郭子儀図」は生々しいほど顔料鮮やかな描写です。仙人の足の間や子供と硯の間が見る位置により動きます。「老松孔雀図」の孔雀は誠に見事です。山本守礼「梅花狗子図」ではかわいい子犬がじゃれています。子犬の目は八法にらみで左右に動いても目つきがついてきます。応挙長子応瑞の「遊鯉図」では、言われてみれば滝の水の後ろに滝昇りする鯉が見えます。長沢芦雪の「群猿図」も見事です。襖の上のわずかなすき間の欄間には、蝶や鳥が描かれたものがありました。その他印象に残ったものが多くありました。残念ながら一部は、今京都で行われている「応挙展」に貸し出し中です。またデジタル複写も一部あります。しかし多くは原画のままの国重文とのことです。絵画は、西洋ものをよく見にいきますが、日本画も捨てたものではありませんね。何となく心に響きます。

 帰りは、運転手さんの計らいで、東尋坊にも勝る岡見公園からの絶壁と、カエル岩に案内頂きました。ホテルでお土産を買ってから、竹野駅まで送ってもらいました。

★最後に

 帰路は、城崎温泉に寄って、志賀直哉由来の城崎文芸館を訪れ、出石そばを食べ、カレーの干物を買いました。城崎温泉も、随分騒々しくなった感じがします。

 あとは「こうのとり」で福知山線周りで一路大阪までです。

  冬は何といっても、松葉ガニと温泉です。関東の方にも是非、京都の丹後半島から久美浜、そして兵庫の但馬海岸あたりを一度訪れて頂きたいと思います。

 今日はここまでです。

 

<写真>今日の秋紅葉は、大阪市付属植物園の森を探索

f:id:tabisanjin1:20191130211021j:plain

交野植物園のカエデ山の紅葉


皆様、こんにちは!

 今日は、秋紅葉の大阪市立付属植物園です。昨日に続いて、老夫婦で運動を兼ねて、森と紅葉での癒しです。朝は寒く、フル装備での散策です。6月に行って以来です。この時、年間パスを購入しているので、そろそろ元を取りに行きました。

<写真>大阪市立大付属植物園の下見に行きました。ササユリが見頃で、珍しいヒスイランが咲いていました。 - 旅散人のブログ

★まずは見事に色づいたメタセコイヤ

 この植物園のメタセコイヤは自慢できる一つです。見事なメタセコイヤが立ち並んでいます。まだ空が白いので、いまいちですが、とりあえず広角で何枚か押さえます。ここには、クスノキイチョウ、ヒマラヤスギなどものすごい大木があります。その雄姿は見事なものがあります。帰る頃には、暑くなるほど晴れてきたので、遠方の山々と青い空と雲と共にカメラに再度収めました。

★少しは台風の傷跡が癒されていますが、まだまだ先は長そうです

 今日は森の探索と紅葉がテーマなので、まずは森を登っていきます。6月よりは少しは整備が進んだようです。いくつか新しい道も公開されています。しかし、広い森ですから、台風の痛手から早い回復は難しいようです。まだまだ先は長いようです。

 森の中は、針葉樹や常緑広葉樹が中心ですが、中には落葉広葉樹も混じっていて、緑の中に赤や黄色や橙や、黄土色が輝いています。うっすらとした影の中に光が差し込み輝くのです。中でも逆光に透き通る紅葉葉は見事です。しかしながら、この目で見た感激を、そのままカメラにおさめるのは非常に難しいのです。

 時々、森の中に差し込む光も神秘的ですが、光と影のコントラストを映し込むのがまた難しいのです。いつも人間の目は良くできていると感心します。しかし、カメラは持って生まれた才能だけでは再現できません。何枚も撮るのですがしっくり感がいまいちです。

 曲がりくねる山道と落ち葉も見事な絵になりますが、カメラにおさめると、目で見たほどにはなりません。なぜでしょう。

 森の中を上がったり下がったりしているうちに、池に出ました。名前は多分ありません。山の上の池です。ここで映り込みを狙った後は、下っていきます。

★見事なカエデ山の紅葉

 池を下ったところが、紅葉の見所の一つです。このあたりは、近くに民家があります。紅葉が見られていなと思いますが、こんな近くだとうっとしいところもあるでしょうね。車椅子の方がここまで上がってきています。サポートの方も大変ですが、この紅葉を見たからには満足ではないでしょうか。

 更に下の方に進み、イチョウとヒマラヤスギのあたりでウロウロします。父親と女の子の親子連れが英語でお腹が減っったと言いながらお弁当を広げ始めました。写生の方もいます。

 我々も、お腹が減ってきたのですが、カエデ山に行きます。家内は、スマホでの紅葉撮影にそろそろ飽きてきています。この山のカエデも見事です。しかし紅葉のピークは超えているので葉っぱは少々傷がついています。アップ撮りは避けます。

 太陽も照ってきています。絞り込んで、木陰からからの光条も狙います。残念ながら、散った紅葉はあまりきれいではありません。地に映える絨毯にはなりません。

★今日の歩数目標を達成れました。

 お腹が減って、疲れたところで、引き上げます。近くの「なか卯」で遅めの昼食です。携帯の万歩計を見ると6000歩を超えています。本日も心身ともに健康な半日を送れました。

 今日はここまでです。

 

<生活>紅葉の大山崎山荘美術館で、東山魁夷のスケッチ展を鑑賞

f:id:tabisanjin1:20191130171632j:plain

山荘美術館から、古戦場の狭間に石清水八幡を望む


皆様、こんにちは!

 すっかり秋めいてきました。関西の山々も色とりどりです。今日は、山荘美術館に、はるばる長野県信濃美術館東山魁夷館からやってきている、東山魁夷のスケッチ作品を、紅葉狩りを兼ねて見に行きました。家内が、長野県信濃美術館が長い間工事のため、信州へ行くたび悔やんでいた東山先生の作品の鑑賞です。

大山崎山荘美術館

 山荘美術館を訪れるのは久しぶりです。バスと電車では、少々不便なので車で大山﨑まで行きました。JR駅近くの駐車場はすでに満車です。駅から歩く人も割りといます。平日なのにと思いましたが、もうスケッチ展も終了間際です。さすが東山先生です。老人たちに人気があります。

 踏切待ちをしているタクシーに尋ねると、少し離れた阪急駅側に行くとまだ空いた駐車場があるとのこと、さっさと移動しました。ここから山の上まで歩くのは大変です。しかし、幸運なことに阪急の駅前まで行くと無料のシャトルバスが止まっています。当然乗り込みました。助かりました。すぐに一杯になり発車、JR駅の前で3名ほど詰め込み、遮断機が閉まってしまう直前、間一髪で踏切を渡り終わり、山の中腹で斜めのまま停車したバスから降ります。

 大山崎山荘は、大正から昭和初期に加賀正太郎が別荘として自ら設計した英国風山荘です。その後、取り壊しの危機に合いましたが、アサヒビールが整備を行い、96年に「アサヒビール大山崎山荘美術館」としてよみがえりました。2階建の洋館で、朝日麦酒(株)の初代社長の山本為三郎のコレクションらが展示されています。河井寛次郎濱田庄司バーナード・リーチらの国内外の工芸名作が含まれます。

 本館以外に、安藤忠雄が手掛けた建物「地中の宝石箱」と「夢の箱」があります。「地中の宝石箱」には、クロード・モネの「睡蓮」が2点と「アイリス」が展示されています。ドガの「ばら色の踊子」やシャガールなどもありました。

東山魁夷のスケッチ

 副題が、ー欧州の古き町にてー、となっています。出展作品リストでは、94点のスケッチ、習作と6点の本制作が載っています。制作形式は、東山魁夷自身が分けたものらしいですが、ほんとにスケッチしたという感じの作品です。

 東山魁夷は家内から聞くまでは、よく知りませんでした。1908年生まれで、1999年になくなっています。若い頃、ドイツに留学していたそうですが、驚いたことに、60歳代はまだ当然としても、70歳代になってもヨーロッパ各地に写生旅行に行ってると経歴表に紹介されています。私もまだまだヨーロッパの探索に出かけられるとついつい嬉しくなります。

 作品は、ドイツやオーストラリアの街や風景です。見たことのある景色も多く、懐かしい思いがします。建物の風景や、建物の壁や窓の作品が多いです。子供の絵の様でもあるし、色遣いがなんとも言えないものもあります。

★2階のテラスからの眺望

 山荘美術館では、何と言っても2階のテラスからの眺望が見ものです。2階に喫茶店があるのですが、お茶を飲んだり、お菓子を食べたりしなくても、テラスへは足を向けるべきです。当日は、山荘美術館は満員で、喫茶店も満席でしたが、皆さん、その間をすり抜けてテラスへ向かいます。

 この山荘は、天王山の中腹にあります。そうです。あの秀吉と明智光秀が争った天王山です。この地は、木津川・宇治川桂川の三川が合流し、淀川となる地点を挟んで、丁度、天王山と石清水八幡宮のある男山が対峙する位置にあり、京と難波の間の交通の要所です。この狭い領域は昔から古戦場となっています。

 後醍醐天皇楠木正成足利尊氏などが出てくる南北朝の時代も大小様々な戦いがありました。今ちょうど読んでいる葉室麟の「墨龍賦」にも出てきます(失礼!書き間違いです:もう読み終えたばかりの安部龍太郎の「婆娑羅太平記道誉と正成」でした)。

 テラスから石清水八幡方面を眺め、戦場を思い浮かべました。川を挟んで武士たちが大声で叫びあっています。

 眼下には、またこの前の大風でダメになった、「背割りの桜」が虫食いながらも、姿勢よく一列に並んで紅葉しています。直下は、山荘の庭園の紅葉がきれいです。

★山荘の庭園探索

 帰りは、山荘の庭園の探索を楽しみました。すっかり秋に染まっています。仕事の都合で、定例の撮影会の紅葉撮りには、二回とも出席できないので、これで代行します。

 阪急駅前まで歩き、前にある中華料理店で遅い定食を頂いて、大山崎から引き上げました。今日は、老夫婦で秋の半日を十分楽しみました。本日はここまでです。

 

 

 

 

 

 

<お金>NISAのロールオーバーに悩んだすえに

皆様、こんにちは!

 年末が近づくと、何となく気忙しい毎日が続きます。中でも、NISAのロールオーバーの手続きには、悩ましいものがあります。何といっても老後を支えるトラの子の資産ですから、もう少し株の動きを見てから、落ち着いてよく考え、決心したいものですが、12月の初めにはもう締切となります。それでも、今年からは免許証等をアップすれば、WEBで手続きできるようになったので、手間は楽にはなりました。しかし問題は、判断に迷うことです。今日は、このテーマを共有したいと思います。

★60歳を過ぎてからの株との付き合い方

 まず、私が実践している60歳を過ぎた働く老人の株との付き合い方を紹介します。この10年は結構、金融市場の環境も良かったので、まずまず成功していると自分では思っています。年金以外にも幾らかは収入があったので、その分を投資に回すこともできました。6年前からは、NISAも始まり、以後はNISAを中心に運用しています。しかし、70歳を過ぎたので、このあとの10年をどのようにするかの方針を考えていく必要があります。むしろ、このための自分のまとめでもあります。

 1.知らないものには手を付けない。株には、日本株や海外株がありますが、市場をよく知らない海外株には手を出しません。よく知っている日本の会社の株のみを対象とします。

 2.分散投資をする。少額でなるべく多くの銘柄を買います。また、異なる業界に分散します。更にできれば動きが異なる銘柄、例えば内需や外需の企業に分散します。日本株は普通20-30%は常に上下に動きます。これにより全体のマイナスの動きは抑えられます。1銘柄や2銘柄ぐらいガクッと下がっても慌てないことです。

 3.株を購入するときはなるべく底値で買う。基本は「待つ」です。しかしこれが難しいです。

 3.大きな儲けを狙わない。あくまで貯金変わりです。持ち株全体として、毎年2-3%増えておればよいと考えます。即ち、基本は東証一部上場の大企業の高配当・安定配当の株が基本となります。株で儲けるための常とう手段である信用取引には手を出しません。

 4.NISA口座一辺倒にはしない。NISA口座は、値動きの少ない、高配当・安定配当の企業を対象としています。基本的には、5年間で15%の利子。10年で30%の利子がつく貯金を仮想しています。こちらは、いわゆるほったらかし投資です。

 これでは、面白くないので、たまには特定口座も使い、大損をしないように楽しみます。幸いに値が大きく上がれば売り払って旅行資金に回します。

 5.70歳を超えた今の課題は、5年毎のほったらかしは、長すぎることです。いずれ年金のみの生活となります。毎年少し原本が増えれば売却し、取り崩していく必要も生まれます。損失が発生したものが戻るまで、余り長く待てないかもしれません。NISAの最大の欠点は、損益通算ができないことです。そろそろ投資方針を見直す必要が出てきています。

★今年の期限銘柄の損益計算

 NISA口座で今年も5年の期限が来るものがあります。大きく値が上がったものは税金がかからないうちに売り払います。私の儲けなら旅行費用に消費します。妻の儲けなら自分の老後資金蓄えです。トントン銘柄は、4年間(配当時期により4年か4年半となる)の配当分を得して、次の5年を特定口座にするかNISAにするか迷います。しかし、基本姿勢は安定維持ですから、更にあと5年待つ形でロールオーバーします。

 さて、問題は損している銘柄の取り扱いです。今年の損得額を計算しました。問題は日産自動車200株です。春までは比較的快調だったのですが、ゴーンさんのお蔭でガタガタ、この先も闇です。 1000円ほどで購入しているので、現在675円、マイナス325円、32.5%の損失です。5年間に20万円投資して、6万5千円の損失です。

 この間4年半の配当金を計算すると、4万2千円。ここで売り払うと2万3千円の損を確定します。損すると言っても11.5%に抑えられています。何とか耐えられます。しかし、今年の後半からは、配当金が従来の半分以下になっています。ここは、やはり損を確定してでも、高配当の違う銘柄を買う手が正解でしょう。手数料は無視して良い金額です。135000円で3%配当の企業を狙えば、5年で2万3千円の損失はほぼキャンセルされます。でも、日産自動車が20円配当を維持してくれれば、ロールオーバーしても配当面では同じです。思案の為所です。

 昨年のロールオーバーでも、たばこからバイオに転身中の高配当のJTが、20%を超える損失見込みで7万円の額面損と5万円の配当の差額、マイナス2万をどうするか悩みました。この場合でも、まあトータルの損失は6%程度に抑えられています。株は30%以上動くと言っても、損失はそんなに恐れることありません。

 2-3年前から、もうJTの上昇の見込みはないと思いましたが、高配当は維持されています。結局昨年は、ロールオーバーしました。現在このままいくと、来年には、7万円の損失と配当金がキャンセルされるので、そのあと適当なところで売り飛ばす予定です。まあ、株主優待を考慮すると既に何とか損得キャンセルはされています。

 ということで、昨年の例と同様、日産自動車ロールオーバーすることにしました。両銘柄とも、少々市場が好調になったぐらいでは復活が難しい銘柄ですが、もうしばらく辛抱してみます。

★最後に

 NISAは、売買益も配当益も非課税になりますが、損益通算ができないのが致命的欠点です。小心者には、思い切って損切ができないのが辛いところで、また悩ましいところです。今日はちょうどNISAのロールオーバーの決断が必要だったので、グダグダ書いてみました。

 丁度、老後に向けてこれから資産が目減りしていく中、少ない資産寿命を少しでも引き延ばしていくことを考えるいい機会です。基本は、自分の命の寿命と資産の寿命のバランスが取れればいいのですが、その手法は難しいものがあります。また、お正月にもゆっくり考えてみます。 

 ところで、金持ち高齢者優遇と批判があった「在職老齢年金制度」の見直し問題も、47万円のまま据え置き、65才未満は47万円に引き上げと、ようやく落ち着くべきところに落ち着きそうになりました。我々平民年寄りから見ても妥当な線と考えます。一方、後期高齢者の医療費が2割になる検討も話題になってきています。こちらは、我々平民年寄りにとってはかなり厳しい内容です。

 これまでも、我々の団塊の世代の塊が動いて行くにつれ、色々な制度が変わってきました。これからも、騒がしくなっていくものと思われます。ある意味虐げられてきたところもありますが、それでもめげずに生き延びてきました。これからも団塊の世代は、柔軟に精一杯頑張っていくと思います。

 今日はここまでです。