<生活>また散歩を始めました。野花を見、「気づく楽しさ」に気づく嬉しさかな、今日のこの頃です。
皆様、こんにちは!
4月から、散歩を始めました。10年前にも健康のためにと朝の散歩をしていましたが、仕事が忙しくなるとついついずるをして、いつの間にか挫折してしまいました。今回は、とうとう糖尿病の薬を飲まされる羽目になった上、お医者さんの温かい気配りで「運動をして1キロでもやせなさい」とのことです。4月からは、請負の仕事も殆どなく暇なので、家内を誘って夕方に近所を散歩することにしました。
★散歩道と景色
定例の散歩道として、ケヤキの並木道の歩道を2.5Km40分ほど歩くことから始めています。並木道沿いは、マンションと公団が立ち並ぶ典型的な団地エリアです。マンションも広々した公団団地も緑が多く、特に春は爽やかで気持ちが良いです。
そろそろ、アジサイが色づき、真黄色のキンシバイが咲き誇っています。この辺りに移り住んでから10年になりますが、季節毎に、木々が色づき、花が咲き、少し入り込むと整備された小川があり、雑踏の中にもオアシスがあります。
★地面に這いつく野花かな
最初はあまり気づかなかったのですが、アジサイやキンシバイなどの目だった花以外に、地面を這いつくように小さな野花が咲いています。マンションの植え込みの隙間であったり、少し高台になった団地の法面の土手であったり、ボランティアで世話をしておられる小さな花壇の隅であったり、至る所で存在感を示しています。
いや、花が存在感を強調しているのではなく、きっと、その存在感に私が気が付いたといったほうが良いと思います。いつも歩いている場所なのに、いつも眺めている景色なのに、改めて考えてみると、違う景色が見えてくるのです。
考えてみるというより、気持ちの持ち方でしょうか?これを悠々自適というのでしょうか?徒然なるままに散歩し。。となるのでしょうか?
★「気づく楽しさ」に気づくのが毎日が楽しみ
ハイキングや旅行など非日常の中では、新しいことを知る、新しいことに気づくということは良くあることです。当然それ自体が目的だからです。山道を歩いていると、当たり前のように、野の花や雑草に気が付きます。
この年になって、日常の世界、日常の生活の中にも、違う景色に気づくということに、気づきました。こうしたときは、老後に抱えている悩みや不安も一時的に消え去ります。毎日の殺伐ととしたニュースで折れた心も癒されます。
散歩が楽しくなってきました。10年前に比べ体力も衰え、あきらめ気味でしたが、もっと遠出してみようと思います。楽しみが膨れ、力が湧いてきます。
「気づく楽しさ」に気づいて嬉しくなりました。
★野花の名前が浮かばない
ここでさらにもう一つ。
「名もなき花」と言いますが、散歩で見る花々には、名前があります。しかし殆ど名前が分りません。子供のころは、きっと名前を知っていただろう花や野草を見つけます。懐かしく嬉しくなります。けれども、のど元まで出てきそうで、出てきません。
知っていたかどうか記憶が定かではありませんが、確かに見覚えはある花もあります。ちょっとイライラします。
中には、始めてみるものもあります。きっと日本の野花ではないのでしょう。しかし、こうなると好奇心が出てきます。
最近は、人の名前が出てきません。ブログを書いていても、言葉が出てこないとか、間違いとかも多く、確実に語彙力が劣ってしまっています。
そうだ、野花の名前をもう一度勉強しようと思い立ちました。写真を撮って、自分の花辞典とすることもできます。名のある花の写真作品とはまた違った趣です。
「散歩」と「野花」と言う、老後の楽しみが2つもできました。
★あとがき
また「散歩」を始めました。散歩道にある「野花」を見つけて、「気づく楽しさ」に気づきました。この年になって、ようやく成長した感じで、何となく嬉しいです。
野花の名前が思い浮かばず、もう一度勉強しようと思い立ちました。年をとっても、口惜しさの心と好奇心を忘れないのが、老後の楽しみの始まりです。最も効果がある介護対策かもしれません。
今日はここまでです。