旅散人のブログ

旅と写真好きのシニアのプログです。お金の話も得意です。

<生活>紅葉の大山崎山荘美術館で、東山魁夷のスケッチ展を鑑賞

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山荘美術館から、古戦場の狭間に石清水八幡を望む


皆様、こんにちは!

 すっかり秋めいてきました。関西の山々も色とりどりです。今日は、山荘美術館に、はるばる長野県信濃美術館東山魁夷館からやってきている、東山魁夷のスケッチ作品を、紅葉狩りを兼ねて見に行きました。家内が、長野県信濃美術館が長い間工事のため、信州へ行くたび悔やんでいた東山先生の作品の鑑賞です。

大山崎山荘美術館

 山荘美術館を訪れるのは久しぶりです。バスと電車では、少々不便なので車で大山﨑まで行きました。JR駅近くの駐車場はすでに満車です。駅から歩く人も割りといます。平日なのにと思いましたが、もうスケッチ展も終了間際です。さすが東山先生です。老人たちに人気があります。

 踏切待ちをしているタクシーに尋ねると、少し離れた阪急駅側に行くとまだ空いた駐車場があるとのこと、さっさと移動しました。ここから山の上まで歩くのは大変です。しかし、幸運なことに阪急の駅前まで行くと無料のシャトルバスが止まっています。当然乗り込みました。助かりました。すぐに一杯になり発車、JR駅の前で3名ほど詰め込み、遮断機が閉まってしまう直前、間一髪で踏切を渡り終わり、山の中腹で斜めのまま停車したバスから降ります。

 大山崎山荘は、大正から昭和初期に加賀正太郎が別荘として自ら設計した英国風山荘です。その後、取り壊しの危機に合いましたが、アサヒビールが整備を行い、96年に「アサヒビール大山崎山荘美術館」としてよみがえりました。2階建の洋館で、朝日麦酒(株)の初代社長の山本為三郎のコレクションらが展示されています。河井寛次郎濱田庄司バーナード・リーチらの国内外の工芸名作が含まれます。

 本館以外に、安藤忠雄が手掛けた建物「地中の宝石箱」と「夢の箱」があります。「地中の宝石箱」には、クロード・モネの「睡蓮」が2点と「アイリス」が展示されています。ドガの「ばら色の踊子」やシャガールなどもありました。

東山魁夷のスケッチ

 副題が、ー欧州の古き町にてー、となっています。出展作品リストでは、94点のスケッチ、習作と6点の本制作が載っています。制作形式は、東山魁夷自身が分けたものらしいですが、ほんとにスケッチしたという感じの作品です。

 東山魁夷は家内から聞くまでは、よく知りませんでした。1908年生まれで、1999年になくなっています。若い頃、ドイツに留学していたそうですが、驚いたことに、60歳代はまだ当然としても、70歳代になってもヨーロッパ各地に写生旅行に行ってると経歴表に紹介されています。私もまだまだヨーロッパの探索に出かけられるとついつい嬉しくなります。

 作品は、ドイツやオーストラリアの街や風景です。見たことのある景色も多く、懐かしい思いがします。建物の風景や、建物の壁や窓の作品が多いです。子供の絵の様でもあるし、色遣いがなんとも言えないものもあります。

★2階のテラスからの眺望

 山荘美術館では、何と言っても2階のテラスからの眺望が見ものです。2階に喫茶店があるのですが、お茶を飲んだり、お菓子を食べたりしなくても、テラスへは足を向けるべきです。当日は、山荘美術館は満員で、喫茶店も満席でしたが、皆さん、その間をすり抜けてテラスへ向かいます。

 この山荘は、天王山の中腹にあります。そうです。あの秀吉と明智光秀が争った天王山です。この地は、木津川・宇治川桂川の三川が合流し、淀川となる地点を挟んで、丁度、天王山と石清水八幡宮のある男山が対峙する位置にあり、京と難波の間の交通の要所です。この狭い領域は昔から古戦場となっています。

 後醍醐天皇楠木正成足利尊氏などが出てくる南北朝の時代も大小様々な戦いがありました。今ちょうど読んでいる葉室麟の「墨龍賦」にも出てきます(失礼!書き間違いです:もう読み終えたばかりの安部龍太郎の「婆娑羅太平記道誉と正成」でした)。

 テラスから石清水八幡方面を眺め、戦場を思い浮かべました。川を挟んで武士たちが大声で叫びあっています。

 眼下には、またこの前の大風でダメになった、「背割りの桜」が虫食いながらも、姿勢よく一列に並んで紅葉しています。直下は、山荘の庭園の紅葉がきれいです。

★山荘の庭園探索

 帰りは、山荘の庭園の探索を楽しみました。すっかり秋に染まっています。仕事の都合で、定例の撮影会の紅葉撮りには、二回とも出席できないので、これで代行します。

 阪急駅前まで歩き、前にある中華料理店で遅い定食を頂いて、大山崎から引き上げました。今日は、老夫婦で秋の半日を十分楽しみました。本日はここまでです。