<写真>秋薔薇は、大和国登美山鼻高霊山寺に挑む
皆様、こんにちは!
今回10月後半の例会は、秋薔薇に挑戦します。当会としては初めて、奈良県の富雄、霊山寺のバラ庭園まで足をのばしました。途中で1名が逸れるトラブルがありましたが、近鉄富雄駅から6名がタクシーに分乗し無事戦地へ乗り込みました。
★大和国登美山鼻高霊山寺
霊山寺は、「大和国登美山鼻高霊山寺(やまとこく とみやま びこう りょうぜんじ)」と言います。
ホームページやパンフレットの縁起と沿革によれば、「霊山寺の所在する富雄の里は、古事記では『登美』、日本書紀では『鳥見』の地」らしいです。歴史好きの方はご承知のように、神話に良く出てくる地名ですよね。
「敏達天皇の頃より、この地方は小野家の領有で、右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。天武12年(684)4月5日より21日間熊野本宮に参籠。この間に薬師如来を感得され、登美山に薬草湯屋を建て、薬師三尊仏を祀って諸人の病を治したのが遠因である。富人は鼻高仙人と称され尊崇された」と云います。古いんですね。しかし決して古びた寺院ではなく、山の上まで広い山内がつながっている立派なお寺でした。
創建は、「孝謙皇女が病になられた時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、すぐに行基菩薩が代参。皇女の病が快癒しました。天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命」されたらしいです。さすが大きいお寺です。
ホームページによれば、霊山寺の七不思議があって、その1が、「霊山寺はお寺なのに、なぜ鳥居があるのか?」です。なるほど、入ってすぐになぜか鳥居があります。
その2が、「お寺になぜ薔薇庭園?」です。その3以降はホームページを参照です。
★お寺になぜ薔薇庭園?
正解は、「第二世界大戦で、シベリアに抑留された当時の住職が、帰国後一番に願ったことは世界平和でした。お寺を訪れる人が花を見て、心の安らぎを感じ、平和の大切さをしってほしいと考えました。庭園は本堂の鬼門(北東)にあり、鬼門にはトゲのある木を植える習わしに倣って薔薇を植えました」です。
第二次世界大戦の終結を記念して作出されたピースという名のバラを中心に1200坪、200種2000株を超える世界各国のバラが咲き集う庭園です。
バラ園開園時間は8時からで、入山拝観料はバラ園開園中は600円です。園内にはティ・テラスもあります。
ちなみに、三脚は使用禁止でした。我々は、三脚を受付に預けて入園しました。
★今日の狙いと条件
今日は雨模様で、入園時は幸運にも止んでいましたが、いつ降ってもおかしくない天気です。幸い風はありません。
広さはそんなに広くなく、お寺に入ってすぐなので、後ろの借景には恵まれていません。広角で景色を活用することはできません。
平日なので、観客はほとんどなく、空いています。でも途中で、少しですがカメラマニアや団体客も入園してきました。
花は残念ながら、思ったより密集度は少なく、背丈は低いです。花は下を向いているものもあります。しかも古い花も混じっています。でも、雨後の露たまが見事です。
こういう時は、何を狙いましょうか?しかし、三脚なしの手持ちです。いくら手ぶれ補正があると言っても、マニュアルフォーカスは難しいです 。オートフォーカスにするにも私のカメラは、焦点ポイントが少ない古いものです。色々制限されます。
取りあえず、標準24-70で行きます。ISOは高めにしてシャッタースピードを稼いでおきます。途中で望遠も併用しましたが、更にフォーカス合わせは難しくなります。
撮ってみて後で確認しかないです。さすがマクロはどうしてもフォーカスが甘くなります。こうなると、構図が限られてきます。しかも下から撮る構図が多くなるので、腰が痛くなります。園内をあちこっち2-3周ほど回っても、同じような絵ばかりになります。大きく一輪を撮るか、2-3輪をバランスよく撮るか、前ボケ、後ろボケか、なかなか良い塊の構図もありません。
そうこうしているうちに、小雨が降ってきました。それでも3時間近く過ぎています。もうさっさと引き上げます。
★きょうのまとめ
今回は、奈良は富雄の霊山寺のバラに手持ちで挑みました。どしても手持ちでは、フォーカスが甘くなります。帰って拡大して丁寧に確認するとどれもピシッとした感じが出ていません。こういう時もあるので、一度オートフォーカスのメーカ調整に出す必要があるのかも知れません。もっとフォーカス点が多い、最新機種に買い替えたいとも思いますが、「もっと腕を上げてからね」という天の声も聞こえます。これを大胆に打ち消す何か良い対処方法がありますかね。
今日はここまでです。