旅散人のブログ

旅と写真好きのシニアのプログです。お金の話も得意です。

<生活>ミュシャと勝海舟と京都探索

皆様、こんにちは!

 久しぶりに、孫の世話で疲れ気味の家内を誘って、京都に出ました。お目当ては、ミュシャ(Alfons Mucha :ムハとも言う)です。

ミュシャの想い出

 ミュシャというのは、アール・ヌーヴォ―の旗手で、華麗な曲線を使うデザインが特徴であるチェコの画家です。パリに留学中、挿絵画家として活動していましたが、有名な舞台女優の劇場ポスターを手掛けて大好評を博し、ポスター作家として有名になったらしいです。その優美で繊細な作風は、後世の画家やアーティストに巨大な影響を与え続けています。

 この度、没後80年ということで、日本の各地で「ミュシャからマンガへー線の魔術    みんなのミュシャ」が開催されており、10月12日からは京都で開催されていることを知り、早速出かけることにしました。

 私がミュシャという名前を知ったのは、2012年の1月、極寒の中、家内と二人で、中欧チェコオーストリアを回った時のことです。プラハの街を電車と徒歩で探索しているときに、「ミュシャ美術館」を見つけ、貼ってあったポスターの印象が極めて強かったので入ることにしました。

 恥ずかしながら、それまで名前は全く知りませんでしたが、家内に聞くと、非常に有名なポスターデザイナーだということでした。そういえば、町の中でこの手の作風をいくつか見ています。

 プラハの街は見所が非常に多くてそちらが忙しく、また当初の予定には入れていなかったので、そんなにじっくり見たわけではないですが、何となく記憶に残っています。

 そういうわけで、今回の折角の機会ですから、京都に出かけることにしました。

★月曜日は祝日

 三条京阪からぶらりぶらりと、烏丸に向かって久しぶりに京都の三条通りの街を歩きました。随分と京都も変わりました。三条通りには、もう昔懐かしい馴染のある建物や店々は殆どなくなっており、寂しい気がします。変わって色々なご飯屋さんがあるようになったとの印象です。この50年間で時代は大きく変わったものです。

 やっと三条高倉の「京都文化博物館」に着きました。しかし、様子がおかしいです。「CLOSED」の表示が出ているではありませんか!

 「えっ、まだ展示が始まったばかりばかりやのに。もう休み?」。そうでした。昨日の月曜日は祝日でした。美術館の休みは月曜日が鉄則ですが、月曜日が祝日の場合は翌日が休みになるというのも常識です。毎日が休みの日々を過ごしていると、そんなことにも気が回りません。家内にも詰られ大失敗です。

 仕方がない、代わって勝海舟没後120年の「霊山歴史館」に行くことにしました。ちょうど「龍馬と勝海舟をめぐる人々」をやっています。

 ★外国人だらけの京都の街

 ちょうどお昼を過ぎたところなので、とりあえず繁華街の方へ出て昼食を取り、それから東山安井へ向かうことにします。

 三条高倉から、南に向かっていくと、京都の台所「錦市場」に出ます。市場の中にも美味しいご飯屋さんがあります。しかしながら、うわさに聞いていましたが、殆ど外国人の方で通りは一杯です。最近は、黒門市場もここも食べ歩きの街と化してと聞いていましたが、ひどいもんです。はっきり言って京都人として嘆かわしいです。

 四条通りに出ても何もないし、持ち歩きの食べ物に当たらないように気を付けてお店を見て回ります。途中で「丹波の黒豆枝豆」を売っていたので買いました。枝豆は「丹波の黒豆」に限ります。

 京極まで突き当り、四条に出ます。しばらく行くと「田ざと」があったので、ここで昼食にします。あんかけそば付きのお弁当にしました。京都のあんかけは久しぶりです。まあ良い値段はします。平日の昼なので、年配のご婦人客が多いですが、隣の席には外人さん四名(家内曰く、どうもフランス語も話してるのでフランス人だそうです)、後ろ側の席には外人さんのアベックです。

 隣から「BENTOU]という声が聞こえたので、弁当は「これ」と教えましたが、見ているとワインに刺身に天婦羅が出てきています。最後まで見ていませんが、きっと「田ざと」なので随分と良い値がすると思います。我々は、海外旅行で、夜でもこんな豪華なディナーはめったに頼みません。京都の街々では、バックパック旅行者を多く見ますが、案外金持ちも来ているのですね。

 歩き疲れたので「四条河原町」からは市バスで行くことにしました。しかし、バス停には外国人の団体が並んでいます。何台か北方面や銀閣寺方面へのバスが来ましたが、乗りません。悪い予感がします。家内はこの団体はきっと清水さへ行くでと予想します。207番が来ましたが、予想通り団体さんが皆んな乗ります。はた迷惑です。我々年寄りは、満員で乗れません。

 仕方がない、歩いて行きます。四条から花見小路を下がります。先日の老舗の火事の後はまだきな臭いです。またここも外人さんで一杯です。勝手に提灯を触ってポーズを取って写真を撮っています。この辺りのマナーの悪さも話題になっていますね。

★維新の道と霊山歴史館あたり

 花見小路を突っ切って、建仁寺前から安井へ向かい、いよいよ魔の坂「維新の道」です。登り切ったところが、幕末維持ミュージアム「霊山歴史館」です。家内がやっとの思いでついてきました。今度のハイキングは山を登るらしく、その訓練です。

  霊山歴史館では、新撰組のハッピがあり写真が撮れます。見学者も殆どいないので、ゆっくり解説ビデオも見て写真も撮ってみました。維新に興味のある方には、絶好の歴史館です。

 この向かいには、「霊山護国神社」があります。龍馬や中岡慎太郎桂小五郎などのお墓があります。お墓には、山上に階段を上る必要があるので行くのはやめました。ここは、維新の志士だけではなく、京都府出身の戦没者もお祀りされています。戦争に行っていた親父も、もし亡くなっていたらお祀りされているところです。もっとも特攻で亡くなっておれば、私は生まれていなかったのですが。神社にお参りしたあと、家内が御朱印を頂きました。ちゃんとした手書きです。

 もう夕方になっています。「維新の道」からは、丁度京都の街が望めます。外国の方もよく知っているのでしょうね。何人かカメラを構えた人がいます。夕日と八坂の塔が重なり絶景です。今日は少し雲が多いです。スマホで撮りましたが、パソコンにどうしてアップするのかわかりませんので、残念ながら本稿には掲載できません。

 高台寺の圓徳院にアメックスのラウンジがあるので、少し休もうと行きました。確か秋の夜間特別拝観中のはずですが、既にもう閉まっています。よく見ると拝観は25日からでした。また確認ミスの失敗です。

  足を引きずりながら、やっとの思いで四条京阪(今は駅名が違うか?)まで行き、有料席に座って帰路に着きました。今日は高くつきました。