旅散人のブログ

旅と写真好きのシニアのプログです。お金の話も得意です。

<旅>仕事の隙間の、南紀勝浦の温泉とマグロに、熊野三山巡りの癒しの旅

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引き潮に並び揃う橋杭岩

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厳かな熊野本宮大社

皆様、こんにちは!

 コロナもようやく少しはおさまり、いよいよ仕事が忙しくなってきました。その隙間を突いて、淡路島に続いて、今回は南紀勝浦の旅です。南紀勝浦と言えば、何と言っても熊野三山那智の大滝、魚はマグロです。

 忙しくて中々ブログに上げることができませんでしたが、今日は仕事の合間に、ようやく忘れかけた旅行記をメモることができました。

橋杭岩まで歩いて行ける引き潮

 南紀勝浦までは、高速でも4時間を超えます。老体には少し厳しい距離です。途中、いつも釣りに行く時に休む「紀の川SA」で一休みし、「みなべ」辺りまでくると、その先は未知の道路です。それにしても紀勢自動車道は、トンネルばかりです。しかも長いです。今まで、陸の孤島と言われていた地形なので仕方がないです。

 白浜までは、-昨年、「くろしお」に乗りたいという孫らを連れて電車で来ました。大昔、「青春18きっぷ」に凝っていた頃には、朝早くから夜遅くまで、家内と紀伊半島一周をしたのを思い出します。このときは、勝浦で「マグロラーメン」を食べたのが懐かしい思い出です。

 高速は、「白浜」を超え、「すさみ南IC」で終了です。道の駅で休息と昼食と思いましたが、入り損ねて、「橋杭岩」まで辛抱するとになりました。

 これが幸いしたのか、「橋杭岩」に着いた時には、晴天で、しかも引き潮です。橋杭岩まで歩いて行けます。勿論我々は行ってはいませんが、団体さんが来た時や若い親子連れは、相当向こうまで石っころを渡っています。橋杭岩は、海中に約850mもの列をなして大小40余りの橋の杭がそそり立っている、壮大な景色です。

 ここでは、私は熊野そば、家内は和歌山ラーメンを食べました。窓の外の展望から遠く向こうに、本州最南端の潮岬から紀伊大島を繋ぐ「串本大橋」が見えます。串本節の

「ここは串本、向かいは大島、仲をとりもつ巡行船」です。

★まずは熊野那智大社那智の大滝巡り

 今回のお目当ての熊野三山のうちの一つ、「熊野那智大社」に着きました。お土産屋の駐車場に止めて、階段を上ります。きつい、長い階段です。玉垣内には、5殿あります。右から4つ目が熊野夫須美大神(イザナミノミコト)らしいです。八咫烏と大クスの胎内くぐりが案内に載っています。お参りした後、御朱印をもらって、隣へ行きます。

 隣は、「那智山青岸渡寺」です。西国三十三カ所第一番札所です。本尊は、インドから那智に渡来した裸形上人という方が安置した「如意輪観世音像」とのことです。

 本堂から後ろに行くと、朱色の三重塔がそびえており、那智の滝との調和が美しいところです。更に下っていくと、那智の滝に出るのですが、疲れ果てて、駐車場に戻ります。那智の滝を浴びることなく、駐車場からそのまま帰ろうとしましたが、家内からそれはないだろうと言われて、滝近くの駐車場に止めて、那智の滝を巡ります。箕面の滝のように、真下まで行けませんが、それなりに滝のしずくを浴びれました。

 日本三大名瀑で、落差133m、銚子口幅13m、滝壺の深さ10m、高さ・水量とも日本一だそうです。300円ほど払えば、もう少し近くのお瀧拝所まで行けます。

★夕食はマグロづくしとアワビに、じゃじゃぶりの露天風呂

 ホテルには、5時ごろに着きました。部屋からは、海も見え、眺めはまあまあです。遠くには、大きな船がゆったりと黒潮の流れに浮かんでいます。白い雲も天高く伸びています。夕食前はお風呂も混んでいるとのことで、部屋でゆっくりしてから、夕食にしました。「マグロとアワビ」のコースです。地酒を飲みながら、紀州の味三昧を堪能しました。

 次は温泉の楽しみです。しかし家内程の温泉好きではないので、いつも夜に一回はいるだけでさっぱりしたものです。今回の風呂は何種類かの湯舟があります。露天風呂も屋根ありと、屋根なしの2つがありました。丁度露天風呂につかろうとした時、ものすごい大雨です。雨に打たれて露天風呂、気持ちいいです。

★捕陀洛山寺で補陀落浄土を想う

 翌日は、家内のたっての願いで、少し那智側に戻って「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」に行きます。ここは、補陀落渡海の出発点で知られています。「補陀落」とは、南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことだそうです。その補陀落を目指して船出することを「補陀落渡海」というそうで、那智のほか、足摺、日光、月山らがあったと言われています。渡海僧が乗り込んだ船を復元したものがお寺の境内にある建物に展示されていました。はるか昔の「徐福」の伝説をも想いおこす内容です。

 ここの本尊は、十一面先手観音だそうです。行ったときは有りませんでした。京都で、「聖地を訪ねて。。何とかという展示会」に出ているそうです。しかしコロナで、延期。家内が行けなかったと悔やんますと住職さんに話かけると、肝心の住職さんも行けなかったそうで、住職さんも悔やんでいました。

 隣には、「熊野三所大神社」がありました。お寺と神社が隣どおしってよくありますね。 

熊野速玉神社と絶壁の神倉神社

 さて、いよいよ新宮に入ります。まずは、熊野速玉神社です。新倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現勧進するために、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられます。主祭神は、熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神で、ナギの巨木があります。夫婦円満のご利益があるそうです。

 ここまで来たら、神倉神社に寄るしかありません。神倉神社は、熊野大神熊野三山として祀られる以前に、一番最初に降臨された聖地です。天の磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる5百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を上り詰めた所にご神体のゴトビキ岩があると案内には書かれています。

 下の鳥居まで行ってみてビックリです。まさに絶壁の階段があります。登れても降りてくる時、足でも踏み外せば転落死です。やめることにしましたが、年配の3人組が横道から降りてくるではありませんか!聞くところによると何とかなるらしい、帰りは横道もあるらしいとかで、杖を貸してくれました。那智大社の階段で閉口している私ですが、より年配と思われる方がお参りしています。行くことにしました。

 しかし、大変です。転び落ちないように背屈ばって汗だくで登っていきます。必須の思いでゴトビキ岩に着きました。上からはいい眺めで、爽快です。帰りも杖を頼りに何とか転び落ちないように平地に着地しました。

★とりわけ古式ゆかしい聖地、熊野本宮大社

 いよいよ、今回の旅程も最後です。古式ゆかしい雰囲気を味わえる熊野本宮神社を目指します。新宮から山の中に入っていきます。苦難苦情の道のりを終えて最後にたどり着くところです。5神が祀られています。かっては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中州にありましたが、明治22年の洪水で現在地に移築・遷座しました。

 熊野詣が盛んであったのは、平安中期から鎌倉にかけてですが、特に院政時代は活発で、後白河上皇などは34度も訪れているようです。

 500㎡ほど離れた熊野本宮大社旧社地「大斎原」には、日本一の大鳥居(高さ34m、幅42m)が建てられ、背後にはこんもりとした森があります。ここも見所です。

★日本一のバス道路を通って帰路に着く

 今回の旅も終わりです。全長166.9km、停留所167、高速道路を使わない路線では、日本一を誇る路線バスが走る道を通って帰ります。途中には有名な、川湯温泉十津川温泉もあります。

 昔45年以上も前新入社員のころ同期の仲間と、車で十津川の吊り橋(今で言う谷瀬の吊り橋)や川湯温泉に言った覚えがありますが、その頃と変わらず、狭い道や暗い長いトンネルもそのままの状態です。まあ、一部は整備されていますけれども、老体には苦しい運転が続きます。途中家内が、谷瀬の吊り橋に行きたいそぶりを見せましたが、メインの道から外れているので、パスしました。行っても高所恐怖症の私には意味がないので。

 途中で、十津川の道の駅に寄って、五条市までまっしぐらです。ここからは高速で自宅まで一直線で帰れます。やっと高速の入り口のSAで一息つけました。

★最後に

 今回の旅行では、世界遺産熊野三山を中心に由緒ある神社仏閣を巡りました。勝浦のマグロと旬彩と酒を堪能し、どしゃぶりの露天風呂を経験しました。神社仏閣の厳しい階段に汗だくで四苦八苦しました。また次の仕事の隙間を狙っての癒しを楽しみにしています。

 今日はここまでです。