旅散人のブログ

旅と写真好きのシニアのプログです。お金の話も得意です。

<歴史>日本文化の基層には、縄文文化がある

皆様、こんにちは!

 いよいよ放送大学の試験が迫ってきました。先日提出した通信指導のレポートの結果が悪くて心配していたのですが、無事、単位認定試験の受験票が送られてきました。こうなっては、合格を目指すように頑張るしかないです。もう一度テキストを引っ張り出して勉強をしています。

<生活>放送大学のレポートの締め切りが近づいてきた - 旅散人のブログ

★この講座を選んだ理由

 現在受講中の講座は、「文学・芸術・武道にみる日本文化」と言うタイトルです。これを選んだ理由は、「日本文化の基層にある縄文文化」と言うキーワードが気に入ったからです。

 講座案内を見て、なるほどと思いました。日本文化と言うのは、「日本人の心」と思います。我々は、神社にお参りすると自然に「厳かさ」を感じます。神社のある山や森や、大きな杉や楠木の神木に「神秘さ」を感じます。火口や噴煙には脅威を覚え、神を思います。諏訪の御柱祭りなど祭祀などはなぜか血を沸かせます。日本の四季には、それぞれ心を動かすものがあります。

 これらは、日本人の心に、1万年以上前から刻々と遺伝子のように組み込まれてきたものではないでしょうか?

★縄文を基層とした、農耕の弥生文化による支配

 日本では、1万6500年前に土器を使って煮炊きや貯蔵を行い、狩猟・漁撈・採集によって生活を営む縄文文化が始まったと言います。この間大きな気候変動などもあり、また地域毎の特色も色濃いものがあるようですが、1900年頃前に稲作灌漑濃厚が始まる弥生時代まで、何と文明社会の10倍、1万数千年も続いたことになります。

 この弥生文化は北九州から順に海沿いに北へ展開していくわけですが、森があり、縄文の生活が強力であった中部高地が一番遅かったといいます。そのため、御柱祭りなど、諏訪には縄文文化の痕跡が色濃く残っているというのが先生の説です。なおアイヌ文化は、一旦稲作を受け入れたがすぐに縄文に戻って続縄文文化が展開され蝦夷になったらしいです。

 面白いのは、この諏訪でさえ、建御名方神の前に先神がいて「国譲り」を受けたといいます。弥生を象徴する出雲系の建御名方神を祭神としながら、狩猟を主とする縄文系の一族が神長官を務め、縄文系の神を祭っているというのです。

 このように、諏訪地方が、日本文化が縄文文化を基層としながら、農耕の弥生の文化が支配していることの典型だというのは、非常に興味深いものがあります。

★日本の心は、「道」であり、根源にあるのは「美意識」

 この第1章をベースに、飛鳥時代から、大陸文化を受けいれ、日本文化の基盤が形成され、古典が出来、更に平安時代には、国風化に転換し、王朝文化への展開していくのを学びます。

 中世には、更に日本文化は進展し、深みを帯び、芸道へと発展します。そして江戸時代に熟成し、近代化とともに再編していく姿を学びます。

 この間に興味深いのは、日本文化が「道」となっていく過程です。歌の道から、隠者、能楽茶の湯水墨画俳諧、浮世絵、武芸、武道から花に至るまで、全て日本らいしい「○○道」です。

 この道の根底には、「美意識」があります。キーワード的に言えば、「もののあわれ」から始まり、「侘びの美」「耽美的」「優美」「無常観」「修行」「幽玄」「無心」「不易」などなどです。真の意味は理解できませんが、その基底には「縄文文化の心」があるような気がします。従い、日本人は、その意味が理解できなくても、なんとなくこれらの言葉がわかる気がするのではないでしょうか?

 また一方、この日本人の心は、日本人の生き方にも影響があるがあるような気がします。「国譲り」「城壁のない都」「仏教と在来の神の共存」「時の権力と天皇の共存」、こんなところにも、競争社会である農耕の弥生時代にはないものが、その深層に埋もれて、いる気がします。それが、縄文文化の基層なのでしょうか。

 こうしてみると、歴史は面白いものです。これから全章を復習していきます。試験は難しそうなので、とおらないかもしれませんが、まあいいでしょう。

★まとめ

 今日は、今勉強している、日本文化の基層について述べました。試験に向けて勉強をしている合間の、気休めの時間です。さて、これからも、この3連休を頑張りますか。